人生チラシの裏 卒業研究でV系を扱いたいという事を正当化するレポート。
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卒業研究でV系を扱いたいという事を正当化するレポート。
2006.06.30 (Fri)
とりあえず出してきた(笑)本気かよ子の人ーΣ(゚Д゚;どうやってそのような結論に達するのかの流れをいかに自然に提示するのかが構成の問題。前半は今まで私がそのような見解に至ったまだを手短に説明。後半はより突っ込んだテーマの提示ですが、かなり強引です(;´Д`)最後の段落はもはや意味不明・・・。

さりげなくヴィジュアル系を出しながら西洋音楽史における「芸術至上主義」の否定、ポピュラー音楽をプッシュ。そして先生に媚を売ってみる。

以下全文晒しますが、ちょっと一人突っ込み。

>>しかし現在「新世代以降の」(とこの文献でされる)バンドはアオリ曲(ヘドバン・逆ダイ/オーディエンスが前に向かってダイヴ・シャウト・咲き/メンバーコールの様なもの。バンドによって独自の様式がある場合もある)が必須である。
・・・ツッコミどころ満載ですが、とりあえずパンピーに向かって説明してるのでご勘弁。コール曲とアオリを一緒にすんなやヴォケ( ゚Д゚)ですが、激しい部分を全部提示しておく必要があったので、手っ取り早くまとめた。

>>ヴィジュアル的にはSHAZNAのIZAMを彷彿とさせる涼平(Gt.)が所属するアヤビエや坊(Gt.)の所属するアンティック-珈琲店-のライヴはツーバス、ダブルペダル、ダブルストロークなどを使用した非常にテンポの速いアオリ曲が演奏される。
・・・コレに関しても、涼平は別に色んなところでIZAM、IZAMといっているので良かろう。彼も本望だろうよ。それにしても坊くんごめん。しかもアンカフェはツーバス(つか最近のバンドでツーバス置いてても使ってるドラマーは見たことない)でもダブルペダルでもないが、BPM180前後で16分取りのバスドラがあるから許せ。

なんか自分で読みなおしてて、とりあえずこれで大丈夫なんだろうかと今更震える・・・汗。受かってますように(*_ _)人

しかも最後の段落はもはやつけたしとしか思えない曖昧さ。。

なんかもう5千字超えてもいいから全部書けばよかったorz

以下本文↓

【More・・・】

課題:卒業研究をするにあたって、自分が取り組もうとするテーマ、なぜそのテーマを取り上げようとするのか(動機・モティベーション)、そしてできればその研究方法まで書きなさい。


 私は物心付くころから小学校高学年までピアノを習っていた。弾く曲はもっぱらクラシックであったし、それが当然だと思い何の疑問も抱かなかった。今思い出すと、好きなアニメの曲やいわゆる歌謡曲をピアノ風にして弾いていたら「ちゃんと練習しなさい」と怒られていた気もする。つまり私や周りの大人にとって、クラシック(ピアノ)とは「練習」するものだったのである。実際コンクールなどにも出ていたし、いかに上手く弾くか、優れた表現技術を身につけるかが重要なのだと思っていた。これはピアノなどを習っていた人に限られることではない。一般的に音楽とは上手いか下手か、美しいかそうでないか、といった「芸術的」観点で見られている。
 中学生になり意識的に「音楽」に接するようになったとき、何を選ぶのか、その尺度にはやはりその影響があった。世の中に溢れるポピュラー音楽にもそのような「芸術的」観念を適応させようとしていたのである。ジャンルなどに関係なく様々なものを聴いていたが、そこで私は自ら矛盾を抱えることになってしまった。私が中学生だった当時人気を博していた「ヴィジュアル系」である。先に音源を聴いて大変気に入っていた私は、彼らの見た目とその呼称にショックを受けた。「ヴィジュアル系」。音楽って見た目じゃない、と豪語する自分と真っ向から対立する。その結果、「見た目で好きになったわけじゃない」と妙な言い訳をしながら今に至るわけである。
 大きな転機は大学2年のときに受講した音楽史Ⅰ、Ⅱという授業であった。ピアノの一般家庭への普及による「技術至上主義」、「モーツァルトは天才的音楽家」という「芸術至上主義」。そのような形で目指された西洋音楽の理想はどのようなものであったのだろうか。自動演奏のオーケストリオンが普及しなかったことは音楽とは人間が奏でて初めて意味のあるものであるという結末であったし、芸術至上主義は西洋音楽による現代音楽が現在いわゆるクラシックと呼ばれる音楽に対し全くといっていいほど知られていない(モーツァルトやベートーベンに対し、ガーシュインやケージなどの作家を知っている人はごくまれであろう)。それよりも現在世の中に影響を与えているのはポピュラー音楽であるはずである。そもそもモーツァルトだって楽譜が売れ、作曲の依頼がこないと音楽家として食べていけないのだから、とりあえず「売れ」なければならなかったはずだ。そこにポピュラー音楽との違いはない。そのような点で西洋音楽による現代音楽は「失敗」しているといえるだろう。
 今まで自分の持っていた「芸術的」観点では上手く説明のできなかった音楽に対し、新しい見解が生まれた。ラジオ・レコードなどで流行を手にした音楽は、それを職業とするのなら音楽の商業性を考慮しないわけにはいかない。単に「売れる」曲を作ればいいのか、自分の「芸術性(音楽性)」を貫けばいいのか、それを語るのはナンセンスな事である。そう考えると、今まで自分自身にしてきた「ヴィジュアル系の見た目が好きなわけじゃない」という妙な言い訳にも終止符を打つことが出来た。見た目で売れてもなんら支障はないし、ましてそれを非難する必要もない。
 99年からかげりを見せたヴィジュアル系だが(きっかけはNHK『ポップジャム』でL’Arc~en~Cielが「ヴィジュアル系」と紹介され2曲演奏するところを1曲で中断したこと、マリリン・マンソンなど洋楽系アーティストが出演する「ビューティフル・モンスターズ・ツアー」に出演したPIERROTが「あなたたちの大嫌いなヴィジュアル系の・・・」と自己紹介したことなどで「ヴィジュアル系」とは「見かけ倒し」であるというイメージを伴って使われるようになった。私もこの影響を多く受けていた。)その流れは決してなくなったわけではない。90年創刊の『SHOXX』は多くのインディーズを含めヴィジュアル系バンドを特集しているが、今でも健在であり、大抵の本屋に置いてある。その他『FOOL’S MATE』『Neo』『Cure』『ROCK AND READ』『ARENA37℃』(この雑誌に関してはヴィジュアル系とその他半々といった内容、インディーズも少ないので専門誌、とは言い切れないかもしれない)などもどこの本屋でも見かけることができる。その他『Zy.』『hevn』などもあるが、一般書店ではあまり扱われていない。
 私はここで一つ疑問を抱いた。大学進学で山口に引っ越してくるまで、私は福岡に住んでいた。近くに大きな本屋があったため、そのような雑誌が置いてあっても何も疑問に思わなかったが、山口の、そう大きくもない本屋でもこれらの雑誌は置いてあったのである。「ヴィジュアル系はもう売れていない」と思っていた私は違和感を覚えた。下火なジャンルを集中的にとりあげる雑誌が何冊も、しかも何種類も置いてあるのである。大学の近くだから品揃えがいいのだろうか?と思ったので、他の場所の本屋に行ってみたが、結果は同じだった。そればかりか、大学前の文栄堂では最近『SHOXX』を入れ始めた(1年ほど前、「『SHOXX』置いてますか?」と尋ねたところ「置いていない」とのことだった。『FOOL’S MATE』『Neo』『Cure』『ARENA37℃』は私が越してきた当初から置いてあった)。クラシック、クラブ、ジャズ、ヒップホップなどさまざまなジャンルがあり、それぞれ「専門」に扱う雑誌は多くあると思うが、普通の本屋ではそう多くは見かけない。これはどういうことだろうか。
 また、『ヴィジュアル系の時代 ロック・化粧・ジェンダー』(青弓社)では

 「さて、ここに紹介した3グループだけの例示をもって、2000年型ヴィジュアル・ロックを定義するわけにはいかないが、少なくともそこには一つの方向性が見えてくる。しかし、以上述べたように、ヴィジュアル・ロック第三世代と第四世代というべき「新世代」との間には、精神としてのパンクスピリットやハードロック――ヘヴィメタルというバンドサウンドとしての連続性はさらに失われ、新たに創作されるストーリーは非現実的な次元での非日常的な御伽噺へとシフトしていることになる。
 この展開は、かつて、究極のシアトリカル系(劇場型)ヴィジュアルロックバンドMALICE MIZERが指し示していた方法論につながるものである。・・・」


 とあるが、(この文献では第三世代をLa’cryma Christi、FANATIC◇CRISIS、ROUGA、Laputa、PENICILLIN、SHAZNAなど、新世代はナイトメア、雅-Miyavi-などとしているが、若干大雑把すぎるのではないかと思う。また、ブレイクした時期で分類しているため、インディーズ活動時期にずれが生じる。バンドの根幹となる部分はインディーズ期に形成されることが多く、まだ現在ではメジャー級のセールスを誇りながらあえてインディーズで活動するバンドも多いため、ブレイクした時期よりも結成・デビューの時期で分類するほうがよいのではないかと思う)むしろ第四世代以降のヴィジュアル系バンドの方がヘヴィメタルからの影響は強いと感じる。Xは当初その楽曲の激しさから男性ファンがほとんどであったが、バラードナンバーで女性ファンを獲得した。しかし現在「新世代以降の」(とこの文献でされる)バンドはアオリ曲(ヘドバン・逆ダイ/オーディエンスが前に向かってダイヴ・シャウト・咲き/メンバーコールの様なもの。バンドによって独自の様式がある場合もある)が必須である。そのため「見た目」の割にライヴは非常に激しいものとなっている。ヴィジュアル的にはSHAZNAのIZAMを彷彿とさせる涼平(Gt.)が所属するアヤビエや坊(Gt.)の所属するアンティック-珈琲店-のライヴはツーバス、ダブルペダル、ダブルストロークなどを使用した非常にテンポの速いアオリ曲が演奏される。これはこの文献で述べられる「シアトリカル系への流れ」に反するものであると考える。そもそも、この文献が筆頭に上げる新世代バンドが「Psycho le Cému」であるのだが、その2000年こそが大きな転機であり、ここから生まれたフォロワーが現在の「新世代以降」だといえる。この文献はここで筆を置いているが、私はこの転機を大変興味深いと思い、卒業研究のテーマとして取り上げたいと考えている。
 またヴィジュアル系はセールスよりもライヴへの動員が重視される傾向にあり(逆に言えば、ライヴへの動員が増えればセールスは上がるはず)これは個人の音楽に対する特権的体験がこのような傾向を招いている一因なのではないかと考えている。この特権的体験がライヴによるものなのか、自身の体験も含めて社会(一般)的な位置づけとの対比によって明らかにし、テーマの一つとして上記に組み込めたらと思っている。







参考文献
「音楽学を学ぶ人のために」三浦信一郎:編 2004年1月10日第一刷発行 世界思想社
「ヴィジュアル系の時代 ロック・化粧・ジェンダー」井上貴子 他 2003年7月9日第一刷発行 青弓社

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